コラム・ 蛍光灯の製造・輸出入終了に思うこと

 今年10月まで、大阪・関西万博が開催される。
 目玉の一つに「空飛ぶ車」があげられるが、まさに現実の技術になろうとしている。
 自分の幼少時代には自動運転の車、壁掛けテレビ、テレビ電話、携帯電話等が夢だったが、それらの物はすでに現実のものとなり当たり前の存在になっている。
 小学生の頃、S電機から四角い形状の充電式懐中電灯「カドニカライト」が発売された。ものすごく人気で入手が困難だった。暫くして漸く「カドニカライト」を親に買ってもらったが、新しい電気製品を手にワクワクした。
 中学生の頃にはIC使用をアピールした携帯ラジオ「IC-70」がT社から発売され、TVからは映像とサウンドロゴがしきりに流れ、今でも口ずさめるほど強いインパクトだった(世界初のICラジオ「ICR-100」はその2年ほど前にS社から発売)。「IC-70」は多くの友人が所有して羨ましかったが、自分はチューニング部に赤色の発光ダイオード・LEDを使用したICF-111S社製・愛称ソリッドステート スポーツ11)を購入。製品に愛称が冠されたのは、この頃から? 数年後に購入した一眼レフカメラも「カメラロボット」とメーカーが謳っていた。
 同じ頃、月刊誌「初ラ(初歩のラジオ)」を数冊入手したが、その中の「用語辞典」にあった「LED」と「有機EL」の解説が特に気になった。どのような物に利用できる技術なのか当時の中学生には思い浮かぶ由もなかった。
 現在では、「LED」も「有機EL」もスクリーンやTVを始めあらゆる箇所に活用されていることは言うまでもない。
 50年も前に認識した技術が現在の社会を支えていることは感慨深いし、自身も恩恵を受けていることで開発技術者諸氏に感謝したい。おそらく、母校の多くの卒業生も開発に携わってくれたものと思う。
 ところで小学生の頃の照明器具と言えば貧乏な我が家では白熱電球が大半で、高価な蛍光灯は2か所くらい。蛍光灯は明るいが、当時は点灯するまでに数秒必要、寒い環境ではさらに遅く10秒以上かかった記憶がある。現在はインバーターや電子点灯管等の技術によりほとんど秒以下で点灯する。
 その蛍光灯は2027年末までに製造・輸出入が終了することが、2023年の国際条約(水銀および水銀を使用した製品の製造と輸出入を規制する)で決定した。近いうちに「蛍光灯」そのものも言葉もなくなってしまうのだろうか?
 新しい技術の誕生・登場は大歓迎だが、旧い物は淘汰されてゆく。
 嬉しくもあるが、さびしく切ない限りである。  

(電気通信科卒・ヤジさん)