私の訳書を母校図書室に寄贈して 

髙島直昭(昭和32年建築科卒)

去る2023年10月14日に行われた芝浦工業会主催の母校公開にはクラスメート数人と参加しました。卒業以来何度か母校を訪問したことはありましたが、最近の20年あまりは電車で学校の脇を通り過ぎるときに車窓からキャンパスを眺めるだけでした。今回その母校の姿を敷地内で拝見しましたが、卒業時にあったすべての建物はじめ、校内すべてが様変わりしていて、思い出に残るものは何も見つかりませんでした。しかし、高校時代を過ごした学校の雰囲気は何か残っているようにも感じました。また、卒業時に担任だった故五十嵐永吉先生が植えたと聞いていた校庭のビワの木が健在だったのにはうれしく思いました。そして、この母校訪問の機会に、昨年12月に出版された拙訳書を、お世話になった母校の図書室に寄贈することを思い立ちました。翻訳中から、この本を高校生に読んでもらいたいと考えていたこともその動機になっています。そこで芝浦工業会から母校にご相談いただき、母校公開の当日、無事寄贈させていただくことができました。

母校キャンパス公開時に訳書寄贈

その本とは、ジョン・ペリー著「コマとジャイロ(原題はSpinning Tops)」(誠文堂新光社発行)で、原著の初版が133年前の1890年にイギリスで発行された後、版を重ね、また英語の復刻版も発行されて古典的な名著と言われています。しかし、これまで日本では翻訳されることはありませんでした。この翻訳は知人から奨められて実現しました。以下にその著者と本を簡単に紹介いたします。

ジョン・ペリー著「コマとジャイロ(原題はSpinning Tops)」(誠文堂新光社発行)

著者は、明治の初めの1875年に来日し、1879年に帰国するまでに、東京大学工学部の前身である工部大学校の助教師として機械工学、土木工学、および数学を教えました。そこで彼は、教師として、野外授業でも専門分野にこだわらず次々と学生に目につく事象をとりあげて問題を投げかけ自発的に考えさせる様な教え方をしていたらしい。また、教授法として特記されるのは、工学や数学の様々な場面で方眼紙を使用することを教えたことであると言われています。そして、英国に帰国後も、実用数学をめざす数学教育の改革で、英国の数学教育界に大きな影響を与えたとのことです。彼はまた、1900年に英国電気学会会長、1906年にロンドン物理学会会長に選任されました。

著者 ジョン・ペリー氏

この本の内容は、1890年に、ロンドンの北約300kmにある商業都市リーズ市で行われた職工向けの講演会にもとづいていますが、講演で行った実験を見ておらず、また、講演の聴衆のように科学的な内容を理解するのに適した基礎知識をもたない一般の読者にも理解しやすいように直して書いたとのことです。ここで述べられているのは、コマで代表される回転体の物理ですが、学校で学ぶような数式はまったく出てきません。それが我々、技術を学んだものには、かえってまだるっこしいという一面もありますが、著者は、様々な実例を引用し、コマだけに焦点を絞らず天体の運行にまで話を広げ、回転体の現象や広く科学的な考え方を語っています。また、当時の最新の実用装置として、ジャイロ装置を具えたモノレールや、舶用の羅針盤を紹介しています。さらに、彼は、来日中に浅草で見た、コマまわしの大道芸の様子を興味深く述べています。そのなかで、彼が来日して大変な日本びいきになったことがわかる一節があります。彼は「子供のころの(こままわしに)熱中した心を取り戻すことを学べるのは日本からなのかも知れません。」と書いているのです。

 

目次

この訳書は専門書ではなく一般向けの本であり、高校生でも十分に読める本ですが、出版後すぐに著者が教鞭を執った工部大学校を前身に持つ東大工学部の図書室で購入されたほか、全国の多くの公共図書館や大学図書館でも購入されたとのことです。

 

まえがき

この本が母校の図書室の書架に置かれるのを想像していたら、私はかって図書室で借りた一冊の本を思い出しました。それは、あれから、70年近くも経った現在でもほとんど同じ体裁で売られているポリア著「いかにして問題を解くか」(丸善出版)です。この本は数学書ですが、未知の問題に遭遇したときどのように考えるかについて述べたもので、私に大きな影響を与えました。ジョン・ペリーの本もこのように、後輩に読まれたらいいなと思いました。

最後にこの本に記載した訳者紹介を自己紹介として下に引用します。

1939年東京都生まれ。小学生のころは電気工作や鉄道模型作りが趣味。中学時代には『子供の科学』の愛読者。当時『子供の科学』の創刊者の原田三夫氏が主宰した「日本宇宙旅行協会」の会員。東京工業大学附属工高(現、同附属科学技術高校)建築課程、早稲田大学第一理工学部機械工学科と進み、東京芝浦電気(株)(現、(株)東芝)に就職。以降、退職までの39年間、原子力発電所の設計と建設に従事。退職後、在職時の米国駐在の経験を含む技術者としての経験を生かして仲間とグループで技術文献の翻訳を続けた。1970年代以降の趣味としては、数理パズルとパズル玩具の研究と収集、コマを含む科学玩具の収集と研究などが挙げられる。一般向け書籍の翻訳経験としては、『数の人類学』(法政大学出版局)の全訳、数冊のパズル書や折紙書の共訳がある。所属学会は日本機械学会。パズル懇話会前代表幹事、日本独楽の会会員。    

以上