コラム・ あれからもう60年超え
大岡山の東京工業大学(現、東京科学大学)70周年記念講堂で卒業式を迎えたのが昭和38年(1963年)3月のことでした。先年、それから半世紀を超える時間を経て、機会を得て平成の世に同じ講堂で後輩諸氏の卒業式に出席した際は、改めて時の流れの速さを思ったものです。
平成の卒業式の際は、目の前においでの卒業生、先生方、保護者の方々に意識が集中しておりましたが、帰宅途中で山手線の電車から田町や母校の建物を目にする頃は在校中の諸々を思い出していました。ここでは、その諸々のうちで記憶に残る先生方について順不同で書いてみます。
幾何の高橋銀蔵先生は、紐の付いた白墨を持って授業においででした。これは、黒板に円を描く際の必須アイテムで、紐の一端を片手で持って黒板上の一点に固定し、他端の白墨をぐるりと回すと真円が描ける、という優れものでした。そして、記憶に残る言葉はなかなかに鋭く「君たち、コンマ以下はいかんよ。」ということを仰いました。この意味は、人間関係は掛け算であるから、1未満の人と付き合うと自分が現状よりも小さくなる、ということでした。その後、私は、幸いにも1未満の人には出会いませんでした。気が付かなかっただけかも知れませんが。
地理の伊藤五郎先生は、一言で印象をいえば、昔あった言葉で(年配の)モダンボーイという処で、同級生の記憶によると、入室直後に一服し、その後に授業を始めるという習慣を持っておいでだったとのことです。授業は、軽妙な話ぶりで行われたように覚えています。
代数の酒井純先生は、お若くもあり活発な語り口で授業を進められ、代数で頻出する記号「x」を「イックス」と発音される特徴をお持ちでした。先生には、1年の1学期に行われた東京都だったでしょうか、統一数学テストで当校つまり我々新入生の成績が日比谷高校より悪かったと叱責を受けました。因みに、その時の3年生は勝ったとのことでした(なぜか2年生についての言及はありませんでした)。
測定だったかの授業を持たれていた石坂陽之助先生は、高い声が持ち味で、両腕の内側をベルトの辺りに当ててズボンをたくし上げつつ授業を進めるという特技をお持ちでした。
当芝浦工業会で事務局を長く務められた山根友夫先生は、母校の先輩でもあり、率先垂範で実技指導をされておいででした。実際に機器を操作する等の実技を指導されていた関係もあり、我々生徒との距離が近い存在でした。
以上は私が教えを受けた多数の先生方のうちのごく一部であり、授業そのもの以外で記憶に残ったことを書きました。以上の記載は私の個人的記憶に基づくもので、事実と異なる部分もあるかと思いますが、ご容赦のほどお願いします。
記憶をたどる過程で懐かしくもあり、また良い先生方にとても恵まれていたとあらためて感じました。この先生の方々の授業を受けた卒業生の皆さんと先生のことをあれこれ語り合えるのもまた楽しいひとときとなっています。
授業等で私の知識蓄積にお力添え頂いた他の先生方については、とても書き切れませんので、紙面でお礼を申し上げてご容赦頂こうと思います。先生方、誠にありがとうございました。
電気通信科 昭和38年卒 MT