コラム・ ツール・ド・フランス

 日本では今だにマイナースポーツの自転車ロードレースですが、欧米では人気スポーツであり、トップ選手の年収はF1レーサー以上といわれています。

 その中でも最高峰のレースが「ツール・ド・フランス」(以下ツールと略)で7月の1ヶ月をかけてフランスやベルギーの北部からスタートして5000m級のアルプスをぐるりと廻り、1日平均200kmを平均時速40km/hで走り、フィニッシュはパリの凱旋門という選手にとっては過酷でも華やかでヨーロッパ中が熱狂するイベントです。

 今では日本でもCS放送で生中継されシャトーやブドウ畑、中世のままの街並みを走る姿や、アルプスの急こう配を登り、下りでは時速7080km/hで走る姿、乗っている最新のバイクなど克明に見ることができますが、いまから50年以上前の高校1年のときにヨーロッパ通の同級生K君から聞くツールの様子からは全く映像が浮かびませんでした。

 当時のトップ選手はベルギーのエディ・メルクスでしたが動く姿など見られるわけもなく、見ることができるのは月刊誌の「サイクルスポーツ」に乗っている写真だけでした。 K君の「イタリアでは毎週末にはクリテリウムという街中で行われるレースがあり、直角のコーナはペダルを地面に押し付け軸にして曲がる」とか「ツールはフランスのレキップ紙が1900年頃から主催して、初期の頃は変速機もないバイクだった」などの話を聞いた当時16歳の少年(私)はヨーロッパへ夢をはせていました。

 そして高3になった頃勉強もせず、せっせとアルバイトをしてロードレーサーを「組む」ことになりました。当時は今のような完成車や組み立て済みのホイールなど無く、フレームは「1.1mm厚ダブルバテッドのクロモリパイプ」、塗装色は「パールホワイト」でオーダーし、ホイールもリムはマビック、ハブはシマノ、スポークはxx、ペダルは三ヶ嶋、ハンドルは日東などすべて部品をバラで購入して組み立てるのです。

 しかしせっかくレーサーを作っても、今の市民マラソンのように、誰でも参加できるレースなど無く、高体連に登録した学校だけが出られるレースしかありませんでした。これが日本で自転車ロードレースが普及しなかった理由の一つで、またレースウエアが「パンツは黒のみ、シャツは単色のみ」と決められていて極めてダサい印象のスポーツでした。

 そんなときに「サイクルスポーツ」誌が主催で誰でも参加できるレースの第1回大会(チャレンジサイクルロードレース)が伊豆修善寺のサイクルスポーツセンタで開催されることになり参加しました。何の経験もないまま参加したレースでなんと30位入賞!(そのレースでは30位までのタイムの入った完走証がもらえる)が良い思い出になりました。

(フランス人選手に弟子入りしたかった50年前の少年)